Bauhaus and more 今でこそ「ゴスの元祖」と呼ばれる彼らだが、実のところ、ゴシック的なモチーフを取り入れていたアーチストは彼ら以前にもAlice CooperやBlack Sabathがいたし、「ロッキー・ホラーショー」や「ファントム・オブ・パラダイス」のような映画においてもこうしたイメージは用いられてきた。当時はニュー・ウェイヴ全盛の時代であり、本来「パンク以前の古いもの」は否定されていた。では何を持ってリスナーはこうした「古い」モチーフを用いる彼らに「新しさ」を感じ、今に至るまで「元祖」と呼びうるような尊敬の念を抱くようになったのだろう。それはひとえに彼らの「解釈」の力によるものが大きかったと思われる。彼らの徹底したスタイリッシュなストイシズムは、それ以前のややもすると滑稽ともいえる「ゴス」イメージを、暗く鋭利な輝きを放つフェティッシュな世界に転じさせ得た。彼らの「アレンジ・センス」にこそ新しさ、オリジナリティがあり、それによってエピゴーネンであってもオリジナルを超えることができるという斬新な概念を提示し得たという事実が彼らをニュー・ウェイヴたらしめ、後に続くアーチストに多大な影響を与えたのである。
彼らの歴史は1978年中頃のノーザンプトンで、Daniel Ash(G,Vo)、Kevin Haskins(Dr)、David J. Haskins(B,Vo)、Dave Extonによって結成されたCrazeというバンドに始まる。Crazeはすぐに解散、その年の11月にアッシュはPeter Murphy(Vo)にコンタクトをとり、曲作りを始める。ピーター、アッシュ、ケヴィンはChris Barberを加え、"S.R."というバンド名で12月にライブ・デビューをはたす。ほどなくChris Barberにかわりデビッド・ジェイが加入。ジェイはバンド名をBauhaus 1919と命名、ほどなくBauhausと改名する。
79年9月、Small Wonderよりデヴュー・シングル"Bela Lugosi's Dead"リリース。ベラ・ルゴシという当時忘れ去られていた古い時代のドラキュラ俳優をテーマに、ダブのリズムにアッシュのエフェクティヴなギターサウンドが重なり、ピーターの地をはうようなヴォイスからドラマチックに歌い上げるサビに続くスタイルで、デヴュー曲にして後に続く要素をすべて詰め込んでいるような趣きもあるなかなかの名曲。この曲はインディからのリリースながら評判も良く、12月にはBBCのJohn Peel sessionのレコーディングに招かれる。ジョン・ピールにはその後何度も招かれ、当時のレコーディングは後に"Swing The Heartaches - The BBC Sessions"としてリリースされた。
81年初頭、Beggars Banquetと契約。4月、シングル"Kick In The Eye"リリース。ケヴィンの跳ねるリズムと硬質なジェイのベースによってダンサブルでクールなポップさが光る曲。6月、シングル"The Passion Of Lovers"リリース。艶のあるアッシュのギター、妖しく美しいメロディにドラマチックな展開。初期の代表曲と言っていい傑作。10月、セカンド・アルバム"Mask"リリース。先行シングルの"Kick In The Eye"や"The Passion Of Lovers"を含んだこのアルバムは最もポップさと実験性のバランスがとれていてファンの人気も高い。ちなみにジャケットはジェイによって描かれたメンバーの似顔絵だそうである。
82年2月、"Searching For Satori EP"リリース。 6月リリースのポップなシングル"Spirit"に続き、10月David Bowieのカヴァー"Ziggy Stardust"リリース。オリジナルよりダイナミックさを増したこの曲は全英15位のヒットとなり、同年リリースのサード・アルバム"The Sky's Gone Out"を全英4位にまで押し上げた。このアルバムの初期プレスにはライブ盤の"Press The Eject And Give Me The Tape"が付属し、これは後に単独リリースされた。
83年1月、シングル"Lagartija Nick"リリース。絶好調に見えた彼らだったが、この頃綻びが生じ始める。この年の始め、バンドが次回作のレコーディングに入ろうとするおり、ピーターが肺炎で倒れてしまう。ピーター不在で進められたレコーディングはジェイとアッシュの色が強く出たものとなり、ピーターは不満だったようだ。4月シングル、"She's In Parties"リリース。結果的に最後のシングルとなったが、この曲は印象的なギターリフに始まり愁いを帯びたピーターのヴォーカルとオブリガード的に絡むギターとの掛け合いから両者が渾然一体となり一気に爆発するメロディが美しい傑作。5月に日本も含むワールドツアーに旅立ち、7月5日のハマースミスオデオン公演が彼らにとって80年代最後のライブとなった。このときの模様は後に"Rest In Peace: The Final Concert"としてリリースされた。
そして7月15日リリースの4枚目のアルバム"Burning From The Inside"を最後にバンドはたった4年間の、しかし濃密だったキャリアにひとまず終止符を打つ。
バンド解散後の各自の歩みは、まずピーターはJapanのMick Karnと組みDali's Carを結成、84年ミック色の強いアルバム"The Waking Hour"を発表した後、ソロに転向。以後、86年に"Should The World Fail To Fall Apart"、88年"Love Hysteria"、90年"DEEP"、92年"Holy Smoke"、95年"Cascade"とほぼ2年おきにアルバムをリリースし、その間に来日公演も行っている。2000年代に入っても02年"Dust"、04年"UNSHATTERED"と地味ながらも順調にアルバムをリリースしている。残りのメンバーのうち、ジェイはソロで活動を始め、何枚かのソロ・アルバムを発表したり、その間にThe Jazz Butcherに参加する等、勢力的に活動。一方、アッシュとケヴィンはバウハウスの活動中より続けていたプロジェクト、Tones On Tailとして活動を続け、何枚かのシングルと84年アルバム"Pop"をリリース。このユニットは短い活動期間ながら、実験色の濃いものからバウハウス時代に通じるダークな楽曲や後の活動に通じるダンサブルな楽曲と非常に降り幅の大きいユニットで、今ではアルバム、シングルともに入手難であるが、後にリリースされたベスト盤の"Everything"等で当時の様子をうかがうことができる。その後彼ら二人にジェイが合流、85年にダンサブルでポップなLove & Rocketsを結成。同年"Seventh Dream Of Teenage Heaven"、86年"EXPRESS"、87年アコースティックよりの傑作"Earth-Sun-Moon"、と毎年アルバムをリリース。そして89年の"Love and Rockets"からのシングル・カット"So Alive"により、バウハウス時代には成し得なかった全米3位のメジャーヒットを果たし、その後も順調にキャリアを重ねた。